公共の場での果樹の取り扱いについて思うこと

 日本の史跡整備で樹木を植えたり、元からある樹木を利用することは多いと思う。そのなかで、実を付ける樹木の取り扱いが気になっている。たとえば、梅や柿などがあげられるが、これらの実は誰のものなのかというのが問題になっている。史跡内で育ったものなので、誰ということはないみんなのものだと直感的には思うし、過去もそれで特に問題にはなっていなかった。ただ、近年は「活用」という面が大変に注目されており、その流れの中で、これら産物を有効に利用してはどうかという取り組みが盛んになってきた。
 
 こうなってくると当然、産出量が限りがあるわけで、いわゆる取りあいが生じてくる。また、業者が大量に取っていくことも指摘されており、問題になっている。
 実際に現場では多方面からの声に対応する有効な管理方法を見いだせてなく、果樹に「勝手に取らないでください」という看板を掛けざるを得ない状態になっている。しかし、手が回らずそのまま放置をしてしまうと実は腐って地面に落ち、「もったいない。なんとかしなさい」と電話が掛かってくる。そういう頭の痛い問題なのだ。
 下記の雑誌をみて、ドイツの取り組みを見て参考になるのではないかと思ったので取り上げてみた。ドイツでは果樹を植えたのが国民全員への飢餓対策だったので、現在でもその目的に沿った使用方法として問題を感じないのだが、さて日本ではどうか。古代の官道沿いにはドイツと同じ精神で旅人への饑餓対策として果樹を植えることが推奨されていたという記録が残っている『太政官符』天平宝字3年(759)。
 おそらく官道周辺の住民が、旅人のために植えられた果樹を実を食べていたとは考えにくいのだがどうだったのだろうか。みんなのモノ、自分のモノということわりが生きていたと思うのだが…。
 最近の日本では、「公共のものに対しては何をしてもよい、遠慮すると損だ」という考えが増えてきたのか、なんとも理解しがたいことが多い。公共性という神話が崩れた現在、先祖返りした管理社会になるのだろうか。今後も課題解決に向けて考えていかないといけない問題点だろう。

中村真人「World Scope from Berlin 自然の恵み食べ歩き」『AGORA』8・9合併号 日本航空株式会社より
ドイツでは、田舎だけでなく都市部でも、公共の場に多くの果樹が植えられており、それらの実は誰もが自由に食べていいことになっている。
アレーと呼ばれる並木道と果物の関係に深い歴史がある。
18世紀中期、プロイセンのフリードリッヒ大王やハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアは、貧しい人々のため公共の場に果樹を植えることを奨励した。そして、ナチス時代の1930年代、有事の国民の食料確保に備えて再び多くの果樹を植えることを奨励した。現在もその多くの果樹が残ってる。果樹の半分はリンゴで、四分の一が
洋梨、残りはスモモやサクランボ。
この通りにある果樹をマップに書き込めるようにしたのがNPOによる下記ページで、ドイツ国内では持続的なアイデアとして評価が高い。
参考
https://mundraub.org/
ムントルブのサイト。
ここ数年、財政難から行政の仕事が縮小されるなかで、市民が自主的に都市の景観作りに携わるのが世界的な傾向にある。

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