故人を思う

先日、中土研大会に行ったおりに刺激をうけた豊中市の橘田氏の論文が読みたくなり、古文化談叢第64号を注文した。また、別の件で興味深かった第65号も併せて六一書房に発注した。今日、二冊がきたのでさっそく目を通した。
すると、第64号の方に、境靖紀氏の追悼特集があった。注文の際に、目次をよく見ていなかったのでこのような特集があったことに驚いた。
実は、境氏とは近隣の市町村関連ということもあり、仕事の付き合いでなんども話しをしたことがある。おそらく自分が仕事に復帰して、事前審査をしていた3年間(2006~2008)のどこか、2006年ぐらいか。春日市の資料館あたりで話しをした記憶がある。
2009年10月30日早朝に亡くなられたというのは、僕たちの耳に入ってきたのはそれから3ヶ月も後のことだった。正直非常に驚いたことを覚えている。しかも、自殺とは…。やりきれない思いを感じたことはいまでも思い出す。
境氏とはそこまで深く話しをしたことはなかったが、論文の抜き刷りを頂いたりしたり、立ち話をする程度には親しくしていただいていた。今思い出すのは、自分の近所に家を新築したので遊びにきてよと誘われたことだった。
なんでも、県の人が持っていた土地を安く買うことができて、一軒家を建てることができた。しかも、本をたくさん置かないといけないので、設計をしっかりしてもらい、どの部屋もグランドピアノをいれも平気だよ。と、笑顔で語ってくれたのを思い出す。たしかそのときに再婚したとも聞いた。羨ましい話しですねと、返事した記憶がある。照れ隠し気味に優しくほほえむ境氏の横顔が最後のイメージとして残る。
2007年に職場でのトラブルがあるとかないとか噂話が聞こえてきて、2008年度の終わりに春日市を辞めたと伝わってきた。そういえば、うちの職場の臨職の試験も受けたが駄目だったようだ。その後、2009年に同僚が佐賀県の吉野ヶ里で姿を見たと教えてくれて、ああ、佐賀でがんばっているんだなとほっとしたことをおぼえている。
彼の死から思い返すともう1年が経っている。時の流れはとどまることを知らず世情の泡沫を掬いさっていく。
古文化談叢の特集を読むと思い出も蘇り、ただ泣けてきた。とくに彼の師匠にあたる小田富士雄先生の文は後輩への他山の石とするようにという厳しい言葉の意味以上に、深い愛情が感じられる。
思えば、境氏は自分より2歳上だった。幽冥に去られた氏はもう歳を重ねることから解放された。
来月の誕生を迎えると自分も38歳である。
何一つ残していない自分を思うに、忸怩たる思いとやるせない思いだけが残る。
境さん、さよならも言えませんでしたが、お世話になりました。
いまは静かにお休みください。合掌

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故人を思う への1件のコメント

  1. 佐々木啓志 のコメント:

    突然のコメント失礼いたします。当ブログに記載されている氏名「境靖紀」氏を検索していてここへたどり着きました。私は熊本市内在住の佐々木啓志と申します。靖紀さんは私の従兄にあたる方で、突然連絡がとれなくなってこのかた数年来、靖紀さんをはじめ、靖紀さんの父である龍彦氏の消息をずっと探し続けていました。春日市役所を尋ねたりなどいろいろと動いて来ましたがわからずじまいでした。しかし、今夜ふと私の母に「やすのりさんの漢字はどう書くの?」と尋ねて検索してみたところ、こちらのブログに辿り着き、靖紀さんの自死を知ることになり、母共々非常に驚きと衝撃を受けている状態です。靖紀さんと非常に近しいお方だったようだと、このブログから感じることができましたので、つきましては、私の連絡先にお手すきの時に是非連絡をいただきたく切にお願いをいたします。靖紀さんやそのご家族の事について、どのような小さいことでもかまいませんのでお話を聞くことができたらと思っております。突然のコメントによるお願いで大変恐縮ですが、何卒宜しくお願いいたします。

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