田舎道

田舎道

田舎道


保育所~小学生と歩いて、こんな山道を通っていた。画像ではアスファルト舗装してあるが、当然、当時は無舗装で土の道だった。舗装されていないから、雨が降るたびにみずみちができて、でこぼこだった。自分が中学生になった後に舗装されたと思う。
地元に帰ったときに気が向いたら、この山を車で走る。あっという間に山を越えられる。
けど、小学生の自分には毎日、一苦労の山だった。
そのうち、普通の道では飽き足らなくなって、山地を探索しはじめる。そして、クワガタ・カブト虫を捕りに山々の木を探して、自分でルートをつくる。毎日、その木の根元を探したり、木を蹴ってクワガタを落として捕まえる。
イッポンギ、ニホンギ、サンボンギとわかりやすい名前をつけていた。
一人で山に入って虫盗りに熱中できた少年時代。秘密基地を作って友達と遊んだあのとき。
思えばずいぶん遠くに来たような気もするが、中身はきっとあのときの少年のままだろう。

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田舎道 への4件のフィードバック

  1. 南雲 鉄雄 のコメント:

    めんまは? めんまはどこ?

  2. 南雲 鉄雄 のコメント:

    私の生まれ育ったところは運河と川と海の近くでした。
    置いてある船に潜り込んだり、土手に穴掘って秘密基地を作ったり。
    秘密基地では「五年三組魔法組」のおもちゃを買ってもらった友人達と魔法
    ごっこをしたり、
    とある友人は買ってもらった「バロム1」の「ポップ」を番組よろしく投げ
    て壊してしまったりw
    そんな友ももう、顔も思い出せず、記憶の中では影絵のようにシルエットのみ
    で登場します。
    初めて乗った自転車で壁に激突し、ついでにサボテンに突っ込んで体中
    棘だらけの人間サボテンになったりもしました。
    「怪人サボテンゲルゲだぁー!!」
    住んでいたのは父の会社の社宅でしたが、二棟に挟まれた真ん中が公園に
    なっており、母親は遊ぶわが子を家に居ながらにして見ている事が出来たので
    安心して遊ばせ、ご飯時や夕方になるとあちこちから帰宅を促す声が合唱
    の様に聞こえたものです。
    「ご飯よー」
    「もう暗いから帰っといでー」
    ついでに豆腐売りとあさり売りのラッパと声も競い合うように輪唱。
    「パぁぁーープぅーーー」
    「あさーりあさり。あさり買なさり~」
    その敷地内は車が通らず、子供にとっても安全で、いい遊び場でした。
    隣には会社の広いグランドがあり、凧揚げしたり野球したり、
    雨の日は草原が冠水するなか冒険と称して水遊びに興じ、ずぶ濡れで帰宅、
    こっひどく叱られ。
    そのグランドでは年に数度、運動会、盆踊り等が開催され、特に運動会では
    お昼にお弁当を貰えるので楽しみだったものです。
    ほとんどの地面が舗装されてなかったので土遊びで友と泥団子の大きさと
    光沢を競い、珍しい石を見つけては持ち帰って、母親に捨てられたり。
    バケツ一杯にトカゲを捕まえては、「何?」と覗き込んだ女の子を卒倒
    させたりもしました。
    土の地面はビー玉遊びの穴掘り(天国地獄)も簡単でした。
    メンコや銀玉鉄砲での打ち合いやかくれんぼもよくやりました。
    空き地も結構あって、遊ぶ場所に事欠かなかったものです。
    運送屋さんや、ビール瓶の保管場所に不法侵入したりもしましたが、大抵
    見つかって怒られるのが落ちでした。
    何処の子でも、分け隔てなく拳骨をいただいたものです。
    今の子供は遊ぶ場所もなく、アスファルトとコンクリートに囲まれ
    思いっきり駆け回れる場所もなく、少し可哀そうな気もします。
    しかし、上記で書いた私の想い出の場所も今はもう有りません。
    社宅はなくなり、土地は売却、それこそコンクリとアスファルトで囲まれて
    しまいました。(会社はまだありますよw)
    まぁ、それが時代の流れなんで仕方ないですね。
    あの、キラ星の如く楽しかった日々と場所、そしてあの日々に居た友たちは
    私の心の中にだけは在るのです。
    今も。
    たまに、そっと覗きこんでは、そこに未だ在る事にホッと胸を撫で下ろし、
    また、そっと仕舞い込むのです。
    そんな幸せな記憶を失くしてしまわない様、しっかり仕舞い込むのです。
    ときに厳重に仕舞い込み過ぎて、たまに行方不明になったりします。
    そんな時、私はこう呼びかけます。
    「もー良いかい」
    「…」
    「もー良いかい!!!」
    「…まーだだよー」
    良かった、
    まだ残って居ました。

    • GAKU のコメント:

      南雲さん
      自分たちの世代がぎりぎり昭和を体験できた最後の世代でしょうねえ。道路が舗装されているかどうか、大きな時代の変化があったのでしょう。
      故郷は遠くにありて思うもの。
      自分が生まれ育った環境は人が違えど、それが心のふるさととして未来永劫影響を受けます。そういう意味では、自分はど田舎でしたが、幸せな環境で生まれ育ったと感謝しております。
      もちろん、都会の人でもそれは同じあるんでしょうけどね(笑

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