友の死を悼む

今日、友人からの突然のメールで、突然古くからの友人の死を知った。
そいつは、高校時代からの連れだった。ここ何年も会ってないが、またいつか会えると信じていた。享年40歳。若い。あまりに若いじゃないか。
9月21日が命日だと聞いた。もう、2ヶ月も経ってるじゃないか。
あまりにも突然の訃報に驚きと悲しみが止まらなかった。まさか!なんで…。
亡くなった友人の兄貴に連絡を取って、その最後を聞いた。
奴は、今年の6月、あまりの体調不良のため、日頃行かない病院を受診した。検査をして判った結果は膵臓癌。末期だった。手の施しようはすでになかった。日頃からの不摂生のせいかな?と兄貴は告げていたようだ。
そのまま、東京を引き払い、地元に戻って終末期医療のホスピスに入った。そこで亡くなるまで過ごしたという。最後まで下の世話を他人にさせず、自分でやっていたと聞き、ああ、最後まで格好つけやがって…と昔の気取った顔が頭に浮かんだ。
内臓器官がやられて、餓鬼のように腹だけでてやせ細った姿を俺たちに見せたくはなかったんだろう。きっとそうだ。そうに決まってる。
いろいろ思い出す。奴は絵が上手かった。昔、高校生の時代、みんなでテーブルトークRPGにハマっていた時代がある。そこで奴が手慰みで書いていたイラストにびびったことがある。たしかベースもやっていたはず。こいつは芸術家だと思っていた。
就職してみんなで会う機会は激減したが、地元に帰るタイミングが合えば、そのときはみんなで会っていた。たまにはカラオケも行ったよな。四人で行って、俺とおまえだけが何時間もアニソンを歌い続けていたよな。アホなことはたくさんしたよな。
手元の写真を見てみると、2009年1月3日にみんなで地元のナポリというイタリアンレストランに集まって食事したのが最後だね。何を話したかな。趣味でフラメンコを始めて、もう少し若かったらプロを目指したとか言っていたなあ。入れ込みすぎてレッスンプロを雇ってまでやってるとか言っていた。こいつは凄いよなーと感心してた。
最後の別れとなったのはその日だった。奴の実家まで車で送っていったと思う。車から下りた奴に俺、たしか珍しく手を出して握手したんだったけ。
俺「また、会おう」
奴「ああ…またな(はにかみながら)」
本当にまた、会いたいよ。
できることなら、いつまでも笑顔で馬鹿話をしたかった。
でも、もう会えない。今生ではこれでお別れだ。いままでありがとう。
安らかに。

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友の死を悼む への1件のコメント

  1. 南雲 鉄雄 のコメント:

    親しい人の突然の訃報は夜空の花火の様だ。
    確かにそこに有ったのに既に無い。
    しかし、今は見えないが、心の底にくっきりと残っている。
    GAKUさんに悼んでもらった友人は幸せだったと、
    私は無責任に言いきってしまう。
    少なくとも、そこに友人の居た証があるのだ。
    私は、死と生は一体だと思っている。
    人はいずれ死ぬ。早いか遅いかだ。
    不確かなこの世に於いてそれは唯一確かな事。
    私は死んだら、無に帰ると思っている。
    なのでさっさと忘れてもらいたいと思っている。
    などと言いつつ、私も今日にでも父が
    「ただ今~」
    と帰ってくるのではないかと、有りもせぬ思いを抱いて
    心にぽっかりと穴を開けたまま生きているのだ。
    人とはロジカルでない生き物だとつくづく思う。
    ご友人にはご冥福を。
    そして、あの世があるならば、安らかな日々であらん事を。
    そして、GAKUさんがご友人の分まで幸せであろうとする事こそが
    なによりの弔いであると思う。
    好き勝手書いて申し訳御座いません。

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