2005北海道ツーリング10
-さらば、函館編-
(2005.7.30〜8.14)
長らく逗留した函館を離れる時がきた。ちょうど出かける人達と出発準備をしながら、話し込む。
RHは旅人が出会い、そして別れる場所。
一期一会、旅人にとっては、それがまたいいのかもしれない。
ライムライトの前。ナンバーを見ると全国から来ていることがわかる。
いろんな所を踏んできた靴たち。
修道院の駐車場 一生懸命にゴミを拾っていた男性がいたのでちょっと驚いた。
ポプラ並木とZZR1200(photo by Tayashin)
ちょうどたやしんがカメラを持ってきていたので、撮影してもらった筆者の走行カット。
なかなかいいカットだったので2005年の残暑見舞いとしてみんなに送ったものです。
縄文式土器の陳列。
日本一周を始めた北海道の青年。頑張れ!
これはお店のご厚意で頂いた烏賊の漬け ごちそうさま。
ムシャムシャ食べる筆者。
ライムライトを後にして、O島さんご推薦のお店「ぶっかけ屋」で朝ご飯を頂き、最後の函館を楽しんだ。
たやしんはトヨタレンタカーにて移動することとなり、そのまま函館時代の友人を乗せてトラピスト修道院まで移動。函館からは海岸線沿いのR228をずっと西へ向かって進む。
TOYOTAレンタカーパワー
トラピスト修道院
一般の人はここまでしか見学できない。
立ち入り禁止の柵の向こうに見える修道院
トイレ前のたやしん。
灯台の聖母 トラピスト修道院
ここでたやしん達と別れて単独行になった。R228を南下していくと道の駅しりうちに到着する。ここは演歌の王様サブちゃんの生誕地として有名な場所。道の駅にいる間ずっと彼の歌がかかっていてさすがに迷惑だ…。先で駐車場で休んでいたスズキSV1000の兄ちゃんもうんざり気味のようだ。天候も安定していなかったので、次の道の駅を目指す。
次の道の駅は、横綱の里ふくしま。小さい道の駅だがライダーが数人いて休んでいた。
先ほどのSVの兄ちゃんもいたがこちらも話かけずトイレをすませて出発。スタンプがおせればそれでいいのだ。
次の目的は、松前城。北海道唯一の和城である。
松前城の貴重な写真.。1867年撮影。
沖口役所の標柱 いまでいうところのの税関。
史跡松前城
別名”松山城”1854年開港の年に完成した最後の日本式築城。背後に少しだけ見えている天守閣は、昭和36年に復元されたもの。
復元された門と土塀。
堀の様子。城は斜面地を上手く利用しており、番屋などは要所に配置されている。
城から見る海。見晴らしはかなり良く遠方まで見える。
光善寺
松前町の寺町散策
松前寺町は、1617(元和3)年に、松前城の北川の非常外衛という目的のために、この一帯に寺院を移設したのが始まりと言われている。当初は15寺だったが、戊辰戦争による延焼のため現在は5寺が残るのみである。
仁王門は1760(宝暦10)年の創建。
本堂は建て替えてあり、非常に新しい。
仁王門から境内を遠望。
血脈桜
樹齢280年の老桜。北海道の名木にも選ばれている。
血脈桜伝説についてはここがくわしい。
龍雲寺
惣門 1851(寛永4)年建築。
本堂 1842(天保13)年に建てられたもので、松前町最古の本堂建築物。
法源寺
重要文化財の山門 建築時期は推定で17世紀中頃という北海道で、現存する寺社建造物ではきわめて古い部類にはいる。
蠣崎波響(かきざきはきょう)の墓
松前のが誇る画人。円山応挙を師とする。
松前藩公歴代墓所(御霊屋)
この建物のなかでは久々に霊気を感じた。
プレッシャーを受けたのですごすご退散する。
松前家御霊廟
こちらは松前藩歴代の墓、その室、子の墓が55基立ち並ぶ御廟。
こんな雰囲気で重苦しくなく、明るく開けた気持ちの落ち着く場所。
墓所の近接画像。このような構造になっている。
五輪塔を石造風覆屋で囲う独特なもの。
七世「松前公広」三代藩主の五輪塔
わかりにくいが、覆屋の内側には、卒塔婆が彫り込まれている。