屋久島紀行

1998月8月9日〜8月13日

○目的
  屋久島へ行ってみる

○場所
  鹿児島県

○参加者(敬称略)
  GAKU

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屋久島…。
もうすぐ10年は経とうかとするのにいまだ鮮烈な思い出を心に残してくれた島。
ずいぶん時間は経ったけど、旅を思い出しながら書き残しておこう。

・8月9日
旅の始まり

そもそも何故屋久島へ行くことになったのか。
これは大学生のときの後輩が、ある日電話をかけてきたことによる。
「先輩、バイクで屋久島いきませんか?」
「屋久島って、行ったことないなあ。…よし、いくか」
というやりとりで行くことに決めたのだが、肝心の誘った彼は直前にキャンセルしてしまった。残念だったが、屋久島に行くという気持ちは収まりがつかず、結局一人でいくことにした。

・8月10日
二日目

・8月11日
三日目

・8月12日
四日目

阿蘇山の外輪山から

当時の愛車はZZ-R400だった。旅の相棒としてこれ以上はないやつだった。

阿蘇山の外輪山から(これは南西側をみている)

とりあえず、家をでて阿蘇に向かった。コースは特に考えてなくいきあたりばったりだった。

阿蘇まではツーリングで何度か来ていたので自信があったのだ。大観望は人が多いので、少しはずれた所で休憩して、次の展開を考えた。とりあえず宮崎まわりでいってみようか、と考えR218で行くことにした。

高千穂峡を越えていくと、狭い谷間を海に向かってひたすら進む。走ったことない道なのでペースがまったくつかめない。途中、青雲橋という所で高い橋をみたことを覚えている。余裕がないのとフィルムカメラだったので、まったく途中の画像がない。いまでは考えられないことだ。

神話街道という名称のこの国道は、阿蘇から延岡に抜ける唯一の道だけあって、交通量が多くてひたすら距離を稼ぐ道だった。

夕方、延岡市に到着。とりあえず、キャンプができる場所をさがすために、キャンプ道具をうっていそうなお店をさがす。釣り具店のような所で、「五ヶ瀬川の河原ならキャンプできるよ」という貴重な情報をゲットして、それを信じて河原へいった。
とりあえず、思い切って河原の上でテントを張って就寝した。

「ここをキャンプ地とする!」…すごく背中が痛かった思い出しかない。場所はもう少しなんとかならなかったのだろうか。当時の俺よ。しかし、五ヶ瀬川はとてもきれいな川だった。

川エビを捕る仕掛けらしい。散歩にきていたおじさんに話しを聞くと、この川はずいぶん汚くなったようだ。それでも清流と言われているレベルらしいが。上流に工場ができたので川の栄養価が高まったらしい。

延岡市からR10をひたすら南下していく。海の青さに感動。

R10からR448に入って日南フェニックスロードを堪能する。暑い日だったなあ。途中のお店で食べたバニラのアイスクリームがとても美味しかったことをなぜか覚えている。

都井岬の灯台
都井岬では可愛らしい放牧された馬をみることができた。景色がすでに南国だ。

半島を迷走してやっと佐多岬に到着。佐多岬ロードウェイは自動二輪400円。
南国ということもあって舗装が波打っていた。

延岡からひたすら南へ下る。
シーガイアもちらっとみるだけ。
今日中に鹿児島に到着しないといけないのだ。
暑さで頭がぼーっとしながらも、ひたすら走る。
ご飯もコンビニでおにぎりを買ってたべたぐらい。

気がつくとR10からR220に入って都井岬を目指す。

途中、青島を通過したはずだけど、記憶が薄い。おそらく暑さにやられていたのだろう。

都井岬からは串良町を横断してR269に抜けて南下していく。目指すは本土最南端の岬、佐多岬だ。


展望台からみる灯台。絶景だなあ。

遠くに開聞岳を望む。

この時点は四極の1つを制覇したのみ。いずれはすべて旅したい。

これはひどい落書きの数々。こうことでしか記録に残せないのかね。長い階段をあがって最初のみる景色がこれだから、まったくやれやれだ。
自分の記憶の中に刻み込めておけばいいだろうに。

あと、ここでイカ焼きを売っていたのだが、それを買おうか買わまいかと相当悩んで、結局買わなかったことを強くおぼえている。
どうでもいいことのほうが印象が強いのかもしれない。

長野から来たというGSF1200の人と知り合って少しばかり立ち話をした。
ソロツーリングのときはなぜか、いろんな人と知り合って気楽に話ができる。
自分一人という寂しさからか、それともただ素直になれるからだろうか

白い所はシラス台地が見えている所だろう。

ガソリンスタンドのお兄さんが、「あの山の向こうに零戦が落ちたことがあるが、いまだに行方不明なんだよ」って教えてくれた。本当か嘘かは知らないが、ちょっと異形な雲の動きはたしかにある種の異世界を感じさせた。

小雨も降り出したので少し休憩。今日は本当に走りづくめだった。この後、桜島へ渡り、ぎりぎりフェリーに駆け込んで鹿児島港へ渡った。
フェリーターミナルで明日の券を買ってぼーっとしていると、関西から来たというZX11乗りと知り合った。よこやんである。それと、東京から友人ひとりが屋久島に行きたいというのでこのフェリーに同乗してきた。ケイシである。(ただし、ケイシとはこのフェリーの往復しか厳密にはいっしょに行動していない。)

泊まる所もなかったのでフェリーターミナルの外側で寝袋にくるまって野宿をした。家族連れが騒がしい一夜だった。

25歳前後の俺。背景に見えるのは昨日訪れた佐多岬。

ケイシと俺。彼は徒歩で屋久島を回るそうだ。

知り合って意気投合した仲間たち。左から二人目がよこやん。一番右は、丹羽さんといって400のバイクに乗っていて趣味はパラグライダーとのこと。僕らとは違って、夜登山で縄文杉を目指すと聞き、びっくりした。

夕焼けのキャンプ場

屋久島行きのフェリーに乗ると、とたんに暇をもてあます。
ずいぶんと錦江湾を出るのに時間がかかった。屋久島まではたしか4時間ぐらいだったと思う。鹿児島港を午前8時30分に出発して、到着は12時30分だった。

つくとまずは腹ごしらえ。近くの定職屋に入って、焼き魚定食を頼む。そしたら、いきなり、あご(トビウオ)が出てきてびっくりした。これまた画像がない。今なら絶対に押さえているのだが…。
味はよく覚えていない。見た目に驚いた記憶のみだ。

そうこうして、島の観光協会に電話してみるとことにした。
電話口に出たおばちゃんは、キャンプをしたいという僕らの要望を取り入れて、当時できたばかりのキャンプサイトに連絡をとってくれた。

ライダーハウスとまり木ではなく、島の外の人が自宅の周りを提供するというスタイルだった。

そして宿代はいわゆる場所代だけで、希望者には1000円程度で晩ご飯を食べさせてくれた。

詳細をメモしたはずだが、そのメモが見あたらない。たしか、安房の集落の近くで、枕状溶岩にすぐいけた場所だったはず。

よこやん、おれ、鹿児島のZ乗りさんでキャンプをする。
その夜は本当に満天の空をみた。
天の川が本当にMilky Way (ミルキーウェイ)と呼ばれている理由を知った。
ちょうど、長野からコカリナの演奏をする子供がキャンプ場にきており、その演奏を聴きながら、見上げた銀河のことを、僕は生涯忘れることはないだろう。

早朝6時起きて、半ぐらいにに宿のおじさんの車に乗せてもらい、縄文杉へ向かう。
荒川登山口に到着するとここからは歩きだ。午前7時スタート。
まずは、普通の山道だが、途中からトロッコ列車の軌道上を歩く。これが意外ときつい。ピッチがあわないのだ。うんざりしながらもとにかく進む。

と、途中で、思わぬ人と出会う。下山してきた丹羽さんだ。どうやら、縄文杉まで行って、そこでキャンプできた模様。再会を喜んだのもつかの間、俺らはまだ上っていかないといけない。握手をして丹羽さんと別れた。

同じキャンプ地に宿泊していた高校生(だったと思う)あまり会話もなく、同行していた。

ひげの人はかなり登山になれていた様子。当時珍しい携帯を持っていたことが印象に残っている。

11時過ぎに到着した縄文杉。
到着した感動よりも、もう歩かないで良いといることに思わず涙ぐみそうになったぐらい疲れきった。
おそらく4時間ぐらいの歩きだったと思う。
しばらくは放心状態だったと思う。しかし、上ってくる人の数は尋常ではなかった。まるでエスカレーターだ。

縄文杉を見上げる。その勇姿に見ほれる。
ずっと一人で何を思ってきたのか。
そんなことを考えながら、宿で作ってもらったおにぎりをほおぼった。

縄文杉の前で記念撮影。手前のおじさんたちは空気を読んではくれなかった。

じつは、行きよりつらいのは帰り。
膝が限界を迎えて笑う笑う。
よこやんは、実際に転んで谷に落ちそうになった。
特に凶悪なのが、この階段とトロッコ道だ。

汗だくになったZ乗りさん。気持ちは良くわかる。

縄文杉をみた充実感と足腰が言うことをきかない恐怖を交互に足に込めながら、俺たちは帰路を歩くのみ…。