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・8月12日
四日目の続き

縄文杉のすぐ近くにある山小屋。基本的に屋久島の山中ではキャンプは禁止されている。行方不明者が多いためである。

途中のウィルソン株でみな休息をとった。

ウィルソン株の中の水がわき出している所。

大王杉。だったと思う。

夫婦杉。

行きも帰りも時間的には同じくらいかかった。
心地よい疲れを足腰にためて、ひたすら歩く。

宿の主人が迎えに来てくれたので、夕方にキャンプ地に到着。そのままだと時間がもったいないので、よこやんといっしょに屋久島一周に出かけた。
78号線を時計回りに西へ進んだが途中で通行止めの看板あり。そこで撮影をする。

背後の山が海へ向かって切り立っている景観がとても良い。

急峻な斜面。もののけ姫のイメージ画の選定場所の一つだけあり、自然の力強さを感じることができる。

よこやんは、いい味を出している関西人。
次の日は宮浦岳をあがったとのこと。

大川の滝 これは良い滝だった。屋久島で一番巨大な滝で、落差は88mある。

写真を撮ってあげるGAKUを後ろから撮るよこやん。

大川の滝からキャンプ地に戻り、こんどは徒歩で海まで歩いていった。
その途中の渓谷で泳ぐ。
その水の透明度と冷たさに身が引き締まった。

その鋭い水面から川底をみると、光るものがあった。なにかしら感じるものがあって、少しばかり潜水してそのものに近づいてみると、なんと空き缶だった。
その空き缶を拾い上げて、岸の奥へ放り投げた。
すくなくとも、あのきれいな砂の中にあるべきではないと感じたからだ。

この景色が妙に印象深い。静かな綺麗さがあった。

海岸線は砂浜がなく、基本的に岩場。足下に注意しないとけがをしやすい。

夜になって、みんなで湯泊の温泉にいく。
俺らは最後になる屋久島の夜。最後まで馬鹿なことばかり言い合っていた。

その場のノリだが、腹を抱えて笑った。先生とよこやんのいい後ろ姿。

・8月13日
五日目

狂乱の最終夜が終わり、現実へのカウントダウンが始まる。
今日、屋久島を離れないといけない。荷物を整理して、バイクにくくりつける。
屋久島一周の欲求が抑えきれず、反時計回りで宮之浦のフェリーターミナルを過ぎて、
西へ向かってみた。
もの悲しい砂浜に出会ってそこでしばらくぼぅと海を眺めてフェリーターミナルに戻った。

宮之浦港を13:30に出発。鹿児島湾には17:40に到着した。ちなみに、島に入ったときに別れたケイシとはきちんと再会。彼なりに充実した島生活を送ったようだ。

Z乗りさんの推薦の鹿児島ラーメンのお店。
ボリュームがありうまかった。

実は島には自転車で来ていたZ乗りさん。
きちんと家に帰ってZを出してきてくれた。
ありがとう。

ラーメン屋の近所の公園にバイクをとめて談笑をする。
ここからの道はみなばらばらだ。

Zの大きさと排気音にびびっていた若かりし日のGAKU。ちょっと緊張気味。

フェリーでいっしょになったセロー乗りの女性。
シートに手製の座布団を挟んでないと乗れないといっていた。

最後にみんなで撮影。左から、先生。Z乗り、セロー乗り、バンディット乗り、そして、GAKU.。楽しい日々だった。

このあと、Z乗りの人の案内で、郊外での花火大会をみて解散した。

午後9時すぎぐらいから、R3を鹿児島から福岡県太宰府市を目指して北上した。
途中まで快調に走っていたが、どうしても眠くなり、八代に到着した午前2時ぐらいに、工場の光を見ながら河原で仮眠をとった。

一時間ばかり眠ってそのままR3を北へ走る。ずいぶん走って回りが白ずんできた八女市あたりの峠で、原付を道ばたで分解している高校生と出会う。すこし話して手伝ったりしたのだが、結局どうにもならないということで、また北へ走った。10分もしないうちにリアタイヤに違和感。ここにきて、パンクだ。屋久島に行く前に交換したばかりのGPR-80だったのに…。
がっくりと落ち込んだが、なんとかしないと家まで帰れない。

八女市内のGSのおじちゃんの好意で、道具を貸してもらいなんとか仮修理完了。
午前九時すぎに自宅に到着。そのまま昼過ぎまで眠った。しばらくはバイクはお休みだ。

一四時ぐらいに電車で二日市駅まできたケイシをマークIIに乗せて、こんどは故郷の広島にもどらなくてはならない。なんて忙しい盆休みだ。

ふたりで屋久島の体験を語りあいながら帰ると、五時間があったという間だった。
屋久島の話で盛り上がった車内、あんなに楽しいドライブは今までになかったな。

ずっと遠い所にある島。屋久島。

でも、199年に僕らが歩き回った土の感触。生命力を感じた屋久杉の山。清涼なる谷水。荒々しい。はすべて記憶の奥底に刻み込まれている。

あの日、すべてが思い出となった。