罪と罰と死と必然と

本日、池田小学校の殺傷事件の判決が出た。
被告は死刑。8人もの少年少女を殺傷して責任は一人の死のみ。
やりきれない思いをみんな持ったと思う。
一番やりきれない思いは遺族の人たちだろう。
7~8歳。可愛い盛り。Newsでビデオが流れた。
映像の中に彼女たちはどれも楽しく幸せそうだ。
その無邪気な笑みを見ると、その後に彼女たちを襲った運命の
残酷さに切なさがつのる。
TVの画面では識者がしたり顔で事件を語る。
どの人の意見も俺の心には届かない。
大衆が感情的に同調するであろう遺族の気持ちには、まったくふれていないからだ。
古来より罪には罰がつきまとっていた。
目には目を、歯には歯を。
ハムラビ法典以来、基本は因果応報である。
しかしみんな知ってるだろうか?
現在の日本の判例では、人が一人殺しただけでは、死刑には
ほとんどならないことを・・・
複数人殺さないと死という罰は報いとして機能しないのだ。
死という、ある種、生物にとっての最大の罰も、死を望む者にとっては
罰にならないことが痛烈に皮肉になっていて、余計にやりきれない思いが番組が終わったあとも続いた。
ふと思った。
巨大すぎる悪を滅殺するために、幼き魂が8人も必要だったのではないか?と。
何も意味なく8人の少年少女が死んだなんて。
死そのものがそもそも突然であり、必然だったとしてもだ。
今だけは…今だけは考えたくない。そう思わないか?

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